Webiner (Internet 上での Seminer)では相互の音声送信が使われることがあります。
安いマイクを使ってもいいのですが、たまたまソニーの ECM-56A を持っていましたので USB コンバータにつないで通話しようとしました。
ところがボリュームを最大にしてもこちらの声が小さいのです。
私の地声が小さいことも原因の一つではありますが、調べて分かったことに、このマイクの出力は仕様で -53.8dBm/Pa しかありません。
たいていは -40 から -45 ぐらいですのでコンバータも大勢はそれにそれに合わせて作られており、このマイクのゲインを 12dB ほど上げたくなりました。
それからの四苦八苦を記録しておきます。
このマイクは 1980 年ごろに買ったもので、かなり高かった記憶があります(多分5万円強、当時大卒初任給は11万)。
以前は山水のトランス A-603 でステップアップして、オペアンプで軽く増幅して使っていましたが、そのままでは USB にはつながりません。
外観は右の写真のようなものです。
メッシュが2重になっていますので、ある程度の風防効果があります。
後方に見えているのは UAC-2 というオーディオ・インターフェイスです。
改造前
仕様は:
感度 -53.8dBm/Pa、出力インピーダンス 250ohm、周波数特性 20-20kHz、負荷 >3kohm、最大入力 134dBSPL、
電源 電池 7-9V または外部電源 24-54V 3.5mA
となっています。
ちょっと単位の確認をしておきます、混乱がありますから。
上記の dBm/Pa というのは正しい表記ではありません。 Sony は単に 0.775V を 0dBm として表示しているだけです。
感度は当時なら -56dBV/Pa と言うほうがいいと思います。
本来 dBm は電力単位で、 1mW を 0dB としたものです。
電話の世界では 600Ω に 1mW を消費させる 0.775V の電圧に代替的に使ってきました。
ところが、オーディオでは必ずしも 600Ωでマッチングさせることはありません。
たいていは低いインピーダンスで送り出し、高いインピーダンスで受けます。 このマイクの仕様もそうなっています。
ですから、ここでは dBm という単位は使わないほうがいいでしょう。 この記事では以下 dBV で記述します。
もう一つ、dBu という単位を使うときがあります。
これは電圧単位で、上の「間違えて使った dBm」と同じく 0.775V を 0dBu とし、混乱しないようにしたものです。
当時はこの単位は一般的ではなかったので、今なら感度は -53.8dBu/Pa というのがいいでしょう。
そのほかにマイクで使われる音の単位として挙げると:
0dBSPL は 20μPa です。 ですから 94dBSPL が 1Pa になります。
1Bar は 100,000Pa です。 ですから 10μBar が 1Pa になります。
なお、この音圧測定は rms (root-mean-square) を採ります。
これらとは全く別に VU (Volume Unit)という単位があります。
音量に使われますが、事実上は電圧計の指示目盛りで、+4dBu(1.228Vrms) を 0VU とし、dBu から 4 を引いた数字です。
ただし、99% アタックの時間を 300ms にした実効値目盛の平均値型の交流電圧計で読みます。(BS6840:part 17 & IEC268-17)
実際に出力インピーダンスを測定してみました。 右の図です。 案の定 Voice 位置で 1.7kΩ まで上昇します。
これは受け側のインピーダンスによっては周波数特性に影響してきます。 受ける機器によって音質が変わる厄介なマイクです。
トランスのコア材の良否を判定するために歪を見てみました。 一次側に直接(1.5k の後ろに)信号を入れ、二次側に出てくる信号を見ます。
下の左の図です。 20Hz で、400mVp-p の高出力で見ると -40dB(1%) より大きな3次歪があり、Lundahl の LL1587 (450mV で -75dB)からかなり劣っています。

上の右の図は小信号(94mVp-p)の出力時ですが、3次の歪は低くなっており、山水よりはいいコア材です。
(くどいようですが、これは 1.5kΩ が無い時の歪です。)
徐々に出力を上げて行くと 190mV に達したところから急激に歪が大きくなり、飽和が始まります。
インダクタンスを測定すると二次側で 29Hz で 6.33H もあり、おそらくパーマロイの部類のようです。 巻線抵抗は 848:90.5Ωです。
リーケージ・インダクタンスは 0.9mH と小さく、巻き方もうまくできています。
この 20Hz の小信号での3次の歪は -60dB ですが、
直列の 1.5kΩ を入れるとさらに 15dB ほど悪化します。 つまり、飽和の歪の場合とは違って、
周波数が低くなってインダクタンスが巻線抵抗や直列のインピーダンスによって電圧が受け取れにくくなると、歪が増えるのです。
せっかくいいトランスなのに残念な回路設計です。
いろいろな妥協をした結果の、問題点がたくさんある設計であることがわかりました。
これは単にゲインを 12dB 上げるだけでは済まない改造になります。 筐体とトランスデューサを残してそれ以外は基礎設計からやり直しです。
改造
現状を把握できたので改造にかかります。 原回路の持つ問題点をすべてつぶします。
・ゲインの目標は 0dB で、トランスデューサのレベルで出力します。
・1GΩが原因のフリッカを低減します。
・トランスによるひずみも低減します。
・FET を排除し、その歪をなくします
・トランスデューサ周りの浮遊容量を小さくし S/N を向上させます。
・ゼナーダイオードを排除してフリッカーを含むノイズを低減し、かつ信頼性を向上させます。
FET を無くしてオペアンプに交換します。 当時は低電流の Rail-to-Rail の JFET オペアンプはありませんでした。
AD820 を選んだのはノイズ電流が小さく、かつ入力キャパシタンスが小さいからです。

もちろんバイアス電流がとても少なく、消費電流も少ないので助かります。
似た石に AD8627 というのがあって同時に入手しました。
仕様書では入力ノイズ電流は AD820 より小さいのですが駆動力がやや小さく、かつ入力キャパシタンスが仕様に無いので不採用です。
入力ノイズ電流が少ないということは、入力容量が大きい可能性があります。
(後日、容量を測定しました。下記の追記を参照)
TI の CMOS オペアンプ LMP7721 などの一連の製品はノイズがとても少ないのですが、そのシリーズはノイズを少なくするためにチャネルを大きくしていますので、
入力容量が 10p ほどになってしまいます。
浮遊容量と S/N 悪化の関係については右の図の通りです。

1000MΩ は 250M にして Bootstrap で見かけの抵抗値を上げます。
また、私のアイデアですが、その Bootstrap は可聴周波外で無くしていき、フリッカノイズを下げるとともに、1Hz 以下を切ってトランスに届かないようにします。
これでトランスによる低い周波数の歪を低減します。
右図で w/BS は Bootstrap 有の時、w/oBS は無しの時の低域特性の差です。 1Hz より下の傾斜が大きくなっています。
Sony の参照線は改造前の特性で、 10p の浮遊容量を想定しています。
トランスは Q ファクター(リアクタンスと巻線抵抗の比。下記 注)が大きく、かつ飽和に強い Lundahl 製に取り換え、大幅に歪を押さえます。
低域の歪率が 40dB ほど改善します。
これに関しては
2つ前の記事を読んでください。
トランスの巻線比は、オペアンプの駆動能力と最大出力とトランスの磁芯飽和を勘案して、限界をそろえた結果 2:1 とします。
巻線比によるロスはアンプで稼いでおくことにします。
トランス2次側にダンピング抵抗をかませて出力インピーダンスのあばれを小さくします。
最大出力は 1.4Vp-p(0.7Vpeak) で、-41.8dBV/Pa(8.13mV@94dBSPL) の 38.7dB 上で、最大音圧では 132.7dBSPL になります。
これは改造前とほぼ同じ値です。 感度が上がって、かつ最大音圧が同じくらい、ということはダイナミックレンジが広がったということです。
FET ソースフォロアより R2R オペアンプのほうが大きい出力を取り扱えるし、そのうえトランスの巻線比を小さくした結果です。
なお、20Hz で 1.4Vp-p ではコアの飽和が始まり、そのときトランスでの 1% 弱の3次歪が入ります。 これは改造前より 15dB 以上の改善です。
トランスは極性を間違えないように接続します。
ゼナーダイオードは排除し、代わりに定電流ダイオードと抵抗を導入します。
定電流ダイオードはばらつきが大きい(0.4~0.63mA)ので 20k を調整してベース電圧が 10.3~11V 程度になるようにしておきます。
電池が出すノイズはデカップリングでしっかり落とします。
もちろんオペアンプの PSRR/CMRR が大きいので実質的にゼロになります。
電源部は少し工夫しています。 使用しているスイッチは Break Before Make (BBM) と呼ばれる構造をしており、切り替えの途中で一瞬オープンになるタイプです。
実は最初 MBB 型を探したのですが見つからず、やむなくこれを使いました。
通常の使い方をすると Music と Voice の間を切り替えるときに一瞬電源がなくなり、オペアンプの電源が揺さぶられ、ポンというポップノイズが出てしまいます。
それで、デカップリングのキャパシタを極端に大きく見せる工夫をしました。 オープンになっても電源電圧はほとんど変化しません。
また、電源 ON/OFF の時も 47k*100u の時定数でゆっくりと変化させるようにしました。
これによってスイッチの切り替え時のポップノイズは無くなりました。
ON と OFF で別の抵抗を使って独立した時定数を設定できるようにしています。
ファントム電源にある 3.3k は、電池動作の時に出力端が不平衡接続で片側が接地されたときに半導体(非直線素子)が負荷にならないように緩和させるためです。
でも多分不要でしょう。
リファレンス・ラインとして、小接合面積の GaN の LED に少量の電流を流して 2.6V を作ります。
2.9V ほしいのですが、直列にダイオードを入れると交流抵抗が高くなるので我慢します。
この LED の交流抵抗は 200uA 時で 370Ω です。
もっと電流を流して 2.9V にするのは電池に負担がかかるのでやりません。

ケースと回路のグラウンドは接続するように工夫しておきます。
250M の上側は空中配線します。 AD820 の Pin3 も曲げて(伸ばして)おいて細い線に直接つなぎ、基板には触れないようにします。
つまり、このノードは 250M と 33p を使って振動しないように空中に支えるわけです。
ここにはたとえ絶縁体であっても接触しないようにします。 右図のような場合は外部からの誘導ハムが入ってきます。
33p の下側はガード電極で保護しておきます。
ガード電位は 2.2k の上側のノード(e4)がいいでしょう。 そうすれば浮遊容量が低減できます。
その 2.2k はノイズの観点からできるだけ低くしますが、OpAmp の駆動限界の観点からはあまり低くはできません。 なので 2.2k としました。

オペアンプの内部に低い周波数のポールがありますが、それも考慮してゲインを計算しました。
e0からe3までの周波数特性計算値は右の通りです。 破線は -3dB レベルです。
さらにその下にある図は、トランスやケーブル、5kΩ の負荷抵抗まで含めた、e0 から負荷端までの周波数特性計算値です。
巻線比などによるトランスとその周りのロスが 10dB なので、アンプで 10dB 稼いでからつないでいます。
なお、この周波数特性はトランスデューサーの特性は含めていません。
ちょっとここにスペースがありますから余談を書いておきます。
(トランスの二次側は別として)電流の大きい通路を見ます。 信号が上に振れたときは AD820 の Pin7 の上にある 100u から、Pin7 を通って
IC のドライバ段、Pin6、トランス、トランスの下側、100u の下側、というループです。
信号が下に振った時は、トランス上側、Pin6、下側ドライバ、Pin4、トランス下側、というループです。
通常ですと、配線するときはこの2つのループに気を配り、太く短く狭くし、グラウンドや電源ラインの共有を避けるようにします。
今回は電流は大きくなく、物理的範囲も狭いので気にする必要はありませんが、考え方の参考にしてください。
余談おわり。

ブートストラップは正帰還ですから、安定性を検証しておきます。
ループのナイキストを調べて安定であることを確認しました。
e3 から e2 や、e3 から e4 を通って e1 に至り、それらが e3 に反映するまでの複素ループ伝達関数です。
実数部分が負になることがありません。
このブートストラップは 0.85 倍しか戻していませんからまあ当然ではあります。
250M の抵抗は 1.6G 程度に見えます。
高い周波数から降りてくると 10Hz までは 正帰還が効果を出しており、10Hz から下では正帰還より負帰還のほうが優勢になっていくことがわかります。

その図では (-1,0) 付近が見えませんので、そこを拡大してみました。
周波数が高域から下がっていっても軌跡は (-1,0) の左に出ることはありません。

右の写真は組み込んだところです。 うまく動作しました。 音質は元の通りです。
まあトランスデューサも筐体も変えていないので当たり前ですけど。
低い周波数のフリッカ・ノイズは激減(30dB 以上改善)しています。
ゲインは希望通り高くなって、大声を張り上げなくてもよくなりました。
低域での歪はトランスの交換によって 40dB は改善されているはずです。
中域でも FET を排除したので良くなっているはずですが、これはもともと小さかったので分からないでしょう。
右の写真を撮った後、さらに改良をしました。
振動やこすれる音を拾っていましたので、トランスデューサに鉛の重りを貼り付けて機械的共振点を下げておきました。
t=2 の板で作り、全部で 10g ほどの付加です。 こすれるときの高い音が少なくなり、3dB ほど下がったようです。

浮遊容量を少なくするため、線は細くし、もとはポリエチレン被覆でしたがより誘電率の低い PTFE にしています。
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[注]
Q ファクター(ωL/R)ですが、元の ECM-56A に使っていたもの、それに 1.5k をシリーズに入れたもの、山水の ST71、
そして Lundahl の LL1587 を比較してみました:
| トランス | インダクタンス (H) |
抵抗 (Ω) | Q @20Hz |
| Sony | 112 : 6.33 | 848 : 90.5 | 16.6 : 8.79 |
| Sony(+1.5k) | 112 : 6.33 | 2348 : 90.5 | 5.99 : 8.79 |
| ST71 | 3.1 : 3.1 | 51 : 51.5 | 7.64 : 7.56 |
| LL1587 | 266 : 61 | 597 : 108 | 56.0 : 71.0 |
山水は明らかに劣ります。 Sony も 1.5k をシリーズに入れた段階で一次側の Q は 5.99 に下がり、山水よりも悪くなります。
どちらも低域での歪は避けられません。
(インダクタンスが巻数比の二乗から少しずれているのは、
やむを得ない事情で電圧や周波数の測定条件がやや異なるからです。 主旨に影響はありません。)
参考:
1.
"Audio" Janualy 1979, pp.103-105 ECM-56F のレビューが載っています
2.
"The Microphone Book" second edition, John Eargle, Focal Press, 2005
または
==>ここ
お勧めです、是非お読みください
3.
"Eargle's Microphone Book" 3rd ed., Ray A. Rayburn, Focal Press, 2011, ISBN-13: 978-0240820750 ISBN-10: 0240820754
4.
"Microphones" 4th ed., by Gerhart Bore/Stephan Peus, 1999, Georg Neumann Gmbh
または
==>ここ(ドイツ語)、
または
==>ここ(英語) ノイマンの解説記事です
5."Handbook for Sound Engineers" 3rd ed., Glen M. Ballou, Focal Press, ISBN 0-240-80758-8, pp. 393-488 and pp. 233-266
6.IEC 60268-4:2015 Sound system equipment Part 4: Microphones
[2018/3/30 追記]
AD8627 の入力容量を測定しました。 この記事です ==> 「
JFET OpAmp の入力容量測定」。
2.4pF 程度と小さいことが分かりましたので、ドライブ能力がわずかに小さいことを我慢して使うことができます。
AD820 よりノイズが少し少なくなります。
このオペアンプは仕様上、入力の電圧を上側のレイルから 2V 以上離しておく必要がありますが、
上記の回路はそのままでなんとか大丈夫です。
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