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オーディオ・トランス

トランスというものは電源に使うときの様に単一の周波数で使うときはややこしくはないのですが、オーディオ周波数全体にわたってちゃんと動作させようとするといろいろ厄介なことが起きてきます。  ちょっとコンデンサー・マイクの中を改造しようと思っているのですが、その時に出力位置にトランスを使うとファントム電源を楽に使えることから、 そのトランスの特性をじっくり調べてみました。
少しめんどくさいことが起こりますから、ここで解説しておきます。

使用する環境や条件は以下の通りです。
1.負荷は2kΩから5kΩで変動。
2.マイクケーブルの長さが6メートル程度。 容量は信号線間が0.3nF、信号とシールド間が1.9nF。 (線間だけを測定すると 1.9/2+0.3=1.1nF)
3.前段のアンプから見た負荷は600Ω以上のこと。
4.周波数特性の要求は20-20kHz。
5.出力インピーダンスは20-20kHzで150Ω乃至200Ω程度。

[ST71 を使うと]
小信号ですから山水の ST71 辺りが良さそうですね。 小信号の 600Ω:600ΩCT です。   山水という会社がなくなっても山水という名前のトランスは橋本電気が受け継いで健在です。  中学生のころ ST11 というトランスを最初に使ったのを覚えています。 あれはもう60年ほど前のこと。

それはともかく、この右図のようにつないでみましょうか:
100u の入り口から 5kΩ の負荷端までの伝達関数を調べます。
ゲインと出力インピーダンスと入力インピーダンスを計算してみるとものすごく暴れているのがわかります。
ゲインの周波数特性(青線)に2つピークが見えます。  左側のピークは、カップリングの 100uF と自己インダクタンスとの直列共振によるものです。  右側のピークはリーケージ・インダクタンスとシールド線の容量との直列共振です。 これらのピークが出る特性は実測とよく合っています。
トランスは無造作に使ってはいけないという、典型的な現象です。
[注意]  トランスの仕様書を見るときはよく注意してください。 負荷容量があるときやカップリングにキャパシタを使った場合などは描かれていません。  それらがあるときは自分で別途測定することが必要です。
上の計算に使った T71 の等価回路は下の通りですが、単純化していますので巻線間の容量や巻き線とコアの間の容量は無視しています。 
ですから以下の解析では 100kHz 辺り以上では計算と実測とは少し異なるでしょう。  ちなみに ST71 の一次二次間容量は約 57pF、巻線とコア間はどちらも 19pF 程度ですから無視していいです。
等価回路中に見える 3.1H などの値は私が T71 を実測して得たものです。 
暴れている特性を落ち着かせるために、前後に補正の素子をかませることにしましょう。 右図のようにしました。  カップリングは 220uF 以上でないといけなかったので、大きすぎるため、思い切って直結にしています。  もちろん絶対に直流をコイルに流さない工夫はしておきます。
前段からの負荷は右端に Load がつながった状態で A 点から右を見た値です。  出力インピーダンスは、A 点をグラウンドに落とした時の、B から左を見たインピーダンスです。 
なお、トランスのインダクタンスは試験する周波数や与える電圧によってかなり変わります。  ここで使用した方法は、3.1H は問題としているのが下限の周波数の時なので、20Hz 辺りとし、低いレベルの電圧で試験しました。  1.55mH は 100kHz 付近で測定しました。


さんざん調整して、やっと何とか使えるだろうという補正値を探し出しました。 
しかし、出力インピーダンスが EIA の推奨値の上限 180Ω を超えてしまいました。 まあ許せる範囲でしょう。  これを下げるには入力端にある 270Ω を小さくするか、巻線比を変えるといいのですが、巻線比はダイナミックレンジの観点から変えたくありません。  270Ωを下げた場合は前段から見た負荷が重くなり、高電力が扱えるオペアンプにする必要があります。  その変更ではファントム電源から引き出す電流要求が大きくなり困ったことになります。  特に今回は 006P の電池でも動作させることを狙っていますので無理です。  たくさんの制約がありますね。

Load が 2kΩ になった時は緑の線の中央部が下がり、青の線も中央部がわずかに下がる程度です。

[歪に注意]
トランスを信号路に使うときに真っ先に気を付けなければいけないことは低域での歪です。 これには二つの問題があります。
1. トランスは直流を通しません(当たり前)。 これをよく考えてみますと、低い周波数が問題だとすぐ気が付きます。  二次側に誘起される電圧は磁束の変化(dΦ/dt)に対応するわけですから、変化が必要なのですが、サインカーブはピークやボトムで変化量が小さくなっています。  特に低い周波数で顕著になります。
ですから、低い周波数の時にサインの頭がつぶれることになります。 つまり、奇数次のハーモニクスが出てくるわけ。
2. もう一つ問題を複雑にしているのは磁気回路の飽和の問題です。  低い周波数になって二次側への誘起電圧が小さくなると、二次側が起こす逆方向の磁束が少なくなって磁気回路が一次側が起こす磁束で飽和しやすくなります。  おまけに低い周波数でリアクタンスが小さくなるので電流が増えて、飽和がすすみます。
一つ目の問題が周波数が低いだけが原因であることに対し、この二つ目の問題は入力の周波数とパワーの関数になります。

以上の二つの原因により、低い周波数では低入力でも奇数次歪が大きくなり、高入力になるとさらにひずみが追加されることになります。
では「低い周波数」がどのぐらい「低い」時かという疑問ですが、まあ大雑把に言って、巻線の直流抵抗が自己インダクタンスによるリアクタンスに対して無視できなくなる時、とでも言っておきましょうか。
ですから、これを避けるには磁路の断面積を大きく(大きなコア)し透磁率を高くしてインダクタンスを稼ぐことです。  断面積が大きいと飽和も回避できます。 でもコアが大きいと寸法との兼ね合いがあり、高透磁率のコア材ではコストの問題を抱えて困難なことが多いでしょう。

ST71 に 20Hz を入れ、出てくる波形を観察してみました。 信号源抵抗は 50Ω、 負荷は 4.7kΩ、電圧は入力端で 500mV P-P です。  この状態ではまだ飽和は起きていません。   第3高調波が -38dB ほどですから 1.2% です。 (絵の中に第2高調波が -52dB ほど見えていますが、これは信号源が持っているものなので無視してください。)

この奇数次の歪は信号源抵抗が高くなると増加します。 例えば 270Ω になると-30dB になります。 この事実に気が付いている方はあまりおられないようですね。
ちょっとこれら2つの原因による歪みを模式的に描いてみました。 模式図なので周波数や歪率の数字は無視してください。 周波数が低くなると R/L 比が悪くなって歪む カーブと、電力が磁気飽和を起こして歪むカーブの概念図です。 もちろん歪率は 100% (0dB) より高くは絶対になりません。
一つ目の原因による歪率は周波数にほぼ反比例します。
20Hz で 3.1H のリアクタンスは 390Ω です。 数kΩはほしいところ。 これは ST71 では解決できないことなので無い物ねだりになります。 これは厄介な問題です。
Tamura の TPs-3S 辺りがいいでしょうが、もちろんマイク筐体に入りません。


ST71 の周波数と入力電圧と第3次調波レベルを大雑把に捕まえておきました。 右の図です。 周波数が低くなると歪が増え、かつ飽和もしやすくなるのがわかります。  20Hz なら 2VP-P 入力まで飽和無しで使えそうです。


[ST73 では]
ST71 に似た特性の ST73 というトランスがあります。 こちらは 1kΩ:1kΩCT ですから自己インダクタンスが少し大きく作ってあるはずです。  実際に測定してみると右図の茶色い枠内の値であることが分かりました。 
歪率はそれほど変わらないでしょう。 同じコアで巻き数が増えますので信号レベルが上がった時の飽和によるひずみは悪化します。 実験で確かめました。

補正素子の値を探して特性を描かせると右の様になります。 全体として ST71 をほんのわずか左に寄せた形です。  自己インダクタンスが大きい分だけ低域が左に寄り、リーケージ・インダクタンスが大きい分だけ、高域が左に寄ります。

[ST76A を使う]
ST31 で問題だったのは、AMP の負荷が低い周波数で 600Ω を割ってしまうことです。 何とかするためにはカップリングキャパシタを入れて、持ち上げることですが、 そうすると 3.1H と共振して出力インピーダンスと周波数特性に山が出てしまいます。 また、AMP 負荷(入力インピーダンス)にディップが出て、それが条件によっては やはり 600Ω を割る場合があります。
これらを解決するにはトランスでステップダウンして、入力インピーダンスを上げる手があります。 その場合はアンプのダイナミックレンジが危険側に寄りますから 注意する必要があります。 また、ゲインをロスします。

細かく計算してみると 2:1 程度まではダイナミックレンジは何とか我慢できることが分かりました。 それで、調べると ST76A というトランスが目に止まりました。  巻線比は 1.54:1 です。
インダクタンスと直流抵抗を測って、すべてを二次側に換算して、その周りに補正回路を入れてみました。  右の図です。 いろいろな値を入れてみて、良さそうなのを図に示しています。
*2.37 とか /2.37 というのは二次側に換算するため、巻線比の2乗で換算する係数です。 例えば 15k/2.37 というのは実際の値は 15K で、計算の時はそれを 2.37 で割った値を使うということ。

(図には記載していませんが、47u の右側は高い抵抗値(220k とか)で落として、スイッチを切り替えたときに「ポン」というノイズが出ないようにします。)

特性は右の様になりました。 これは 5kΩ 負荷の時ですが 2kΩ 負荷でも大きな変化はありません。  Zin に関しては一次側に換算した値(実際の値)にしています。

若干欠点があります。 一つは、出力インピーダンスが 280Ω ぐらいになること。 もう一つは Voice の設定で低い周波数の出力インピーダンスに持ち上がりがあることです。 何とか我慢できます。  ゲインの周波数特性は負荷のインピーダンスも計算に入れていますから大丈夫でしょう。

あ、Music の設定で下限周波数の落ちが突然切れています。  これはリンギングとまではいかないものの、わずかなオーバーシュートがあることを示しています。  ステップ信号を与えると、エクスポーネントで落ちずに、下側に少しはみ出ます(実測:下図)。 問題とするほどではありません。
47uF がトランスのインダクタンスと共振回路を作っていて、その持ち上がりをトランスの周波数特性の落ち始めるところに合わせた上で、 ダンピングを適切にしてあるのです。 
そうやってフラットになるように、まあいわばごまかしているような形です。  周波数特性だけを見ていると素晴らしいバタワース特性のように見えますけれどもね。
Music 位置で -3dB 周波数(バンド幅)を実測すると 6.4Hz と 69kHz でした。 ほぼ計算と合っています。
低域での歪は ST71 と同じ程度あります。 これは山水を使っている限り逃れることはできないようです。


[Lundahl LL1587]
リュンダールのマイク・インプット・トランス LL1587 を入手してテストしてみました。

これは素晴らしい特性です。  Sansui のトランスではすべて低い周波数で奇数次の歪が大きく出ていましたが、LL1587 ではとても低くなり 1/20 ぐらいに改善されます。 右の絵です(20Hz、450mVp-p 出力)。
これでも下がらければ Mixed Feedback (ドイツの特許 DE2901567)を使って下げることも考えなければならないと覚悟していたのですが、その時は消費電流が大きくなりますから困っていました。  でも測定してみてびっくりです。 これなら Mixed Feedback を使う必要もありません。

ミューメタルを使っているのでインダクタンスがけた違いに大きく、またリーケージ・インダクタンスも Sansui と同程度に収まっています。  巻線間シールドが入っていますから、リーケージ・インダクタンスを下げることは無理です。  ケースもミューメタルなのでハムも拾いにくいでしょう。  仕様書はこれです==> LL1587 Datasheet
巻線比は 1+1:4 ですが、これを 2:1 CT の接続にして使います。

一応大雑把な補正回路を入れたのが右の図です。 特性も計算したものをその下にお見せします。  インダクタンスがものすごく大きいので低い周波数まで伸びてしまって、カップリング・キャパシタとの共振がわずかに残ってしまいました。  出力インピーダンスに少し持ち上がりがあります。 直結にすることも考えましたが、IC が増えるなどの都合があって躊躇しています。

カップリングに入れた 22u は前段から見た負荷を低い周波数で重くしないためですが、リアクタンス分が大きくなる領域では歪が増加する要因になります。  -70dB だったものが -60dB に上がってくるとかいったレベルですが。 ですから前段で 10Hz 程度より低い信号は切る必要があります。
また Voice 位置での 80Hz 以下の傾斜が緩いのが若干気にかかります。


[トランスの良しあし]
以上の実験から、周波数特性だけを見てトランスの良しあしを判定するのはあまり信用できないことがわかります。
顕著にわかるのは、低域限界周波数(自分が使う周波数の一番低い辺り)での歪率を測定することでしょう。  それも、通常使用するレベルと、レベルを上げていって突然歪が大きくなりはじめる電圧をみて、どれだけマージンを持っているかも見たほうがいいでしょう。
歪の測定が面倒な時は、直流抵抗とその周波数でのリアクタンスとの比が十分大きい( 20 程度以上)かで判断していいと思います。 このときはマージンは判りません。


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[補足]
なぜめんどくさいカップリング・キャパシタを使うのか、なぜ Mixed Feedback を使わないのか疑問が湧くでしょうが、多分わかっていただけると思いますので全体の構想をお見せします。  下の図です。 これをコンデンサ・マイクの筐体内に組み込みます。
消費電流を節約するために、オペアンプを増やしたくないことが主因です。 リファレンス・ライン(2.59V)はインピーダンスが高いのでトランスの帰線がつなげません。  また使うオペアンプも小電流なので駆動電力がありません。

これは構想だけですのでまだ実装していません。 多分多少(多少では済まないかな?)の変更が入るでしょう。

後日実装した回路は==>これです。


[余談]
Lundahl は、日本語での近い発音表記は「リュンダール」または「リュンダーゥ」です。  アクセントは「リュ」にあります。  ルンダールと書いてあるのを見ることがありますが、英語読みです。
私はたまたま職場にスウェーデン人のリュンダールさんがいて、毎日顔を合わせていました。  もちろんトランス屋さんではなく、マネジメントの一員でした。 最初に会った時の自己紹介からずっと「リュンダール」でした。




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(2/7/2018)武        

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作者: 藤原 武 Tak Fujiwara